岩崎新定 膳所染付雲堂水指

岩崎新定 膳所染付雲堂水指

15.8㎝径×17.6㎝高

 

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岩崎新定 膳所焼

膳所焼歴史
菅沼定芳は、膳所藩主となった後の寛永6年(1629年)、膳所相模川の左岸に御用窯を築いた。定芳は本阿弥光悦・小堀遠州・松花堂昭乗との交友に影響を受け茶器を焼いたと言われている。菅沼定芳移封後、寛永11年(1634年)新たに石川忠総が膳所藩主となった。忠総の実父大久保忠隣は、小堀遠州の師であった古田織部門下の大名茶人であり、忠総自身も小堀遠州と親交が深かったことから遠州の指導を受け茶器焼き物に力を注いだ。膳所焼は遠州七窯の一つとして評判を上げ、茶入や水指などは諸大名らの贈答品として重宝された。しかし、膳所焼の隆盛は忠総治世時に留まり、慶安3年12月(1651年2月)忠総が死去し、慶安4年4月(1651年6月)後継の石川憲之が伊勢亀山藩に移封すると、膳所焼は徐々に衰退していった。
膳所焼の廃絶を惜しんだ地元の岩崎健三が1919年(大正8年)、友人の画家山元春挙と組んで別邸に登り窯を築き、京都の陶工二代伊東陶山が技術的な指導を行い膳所焼の復興に生涯尽力した。健蔵の後、息子の岩崎新定に継承され、新生膳所焼は今日に至っている。
岩崎新定 大正2年生まれ。京都高等工芸学校陶磁器科卒業。父岩崎健三に師事。昭和62年膳所焼美術館を創立。平成21年10月死去