【売却済】永楽得全 和蘭陀写火入 二 eiraku, tokuzen copying dutch firing container

永楽得全 1853(嘉永6) - 1909(明治42)

十四代 永楽善五郎
1853年(嘉永6年)十二代 和全の長男として生まれる
三井家、鴻池家の庇護を受け数多くの作品を制作する
仁清写や、呉須赤絵を得意とする
1909年(明治42年)57歳 逝去
十四代 永樂善五郎が襲名した頃は茶道が衰退していく時代でもあった。苦しい生活の中、岡崎に作陶に行く等これまでにない道を模索、新たな茶道の世界を築く。菊谷窯を開窯し、高級茶陶などの制作を手がけることにより、苦しいと言われていた家系を持ち直し、さらにはフィラデルフィア万国博覧会、ウィーン万国博覧会など、世界的にも名を広める努力を行う。
妻は永楽妙全(本名:悠)。