【販売済】三代 和田桐山 南天絵茶碗 the 3rd wada, tozan heavenly bamboo bowl

三代 和田桐山 1917(大正6)- 1994(平成6)

大正6年(1917)~平成6年(1994)。初代の長女弘子と養子縁組。本名春雄。日本画を牛尾桃里に学び、初代の下で作陶に従事。二代没後、三代桐山を名乗る。

 

琴浦窯
橘経氏、天慶四年六月(941年)、藤原純友の謀判の時戦功に依り、河内・備中二ヶ国を賜り、次いで成綱の時代、河内金剛山麓の屋敷内に楠の大木の有るのを称へて、弘長三年(1263年)菊水を陣羽織紋とし、河内金剛山麓に於いて楠和田が発祥。時代の変遷と栄枯盛衰を経つつ、文化十二年(1816年)和田信景、外科医道を以って尼崎藩主櫻井候に仕え近世におよぶ。和田九十郎正隆(安政5年1月25日生)兵庫県学務課に奉職中、淡路志築における陶器学校建設に参画したるも実現せず、官を辞し、明治34年、兵庫県武庫郡中村に窯を築く。九十郎二男、和田正兄(マサエ)が、兵庫県武庫郡精道村に御庭焼の築窯に盡したのが打出焼の創始である。明治四十三年、正兄は尼崎市東桜木町に移窯し、白砂青松の美しい磯部であった尼崎の古名「琴の浦」という地名にちなみ「琴浦窯」と称し、陶号を「桐山」と号したのが始まり。大正12年に五室の連房式登り窯を築窯し、白磁、青磁、染付、金襴手、色絵等多種多様な技法で、煎茶器、食器、茶道具を焼成。昭和22年、天皇陛下 兵庫県行幸の際には、ご宿泊所に作品15点を陳列天覧に供し、兵庫県文化賞を受賞。