径14.6㎝×高27.5㎝
【売却済】二代 和田桐山 伊賀花入 the 2nd wada, tozan iga vase
二代 和田桐山 1897(明治30) - 1977(昭和52)
兄(初代桐山)とともに作陶に従事していたため、他家(神戸御影名和家)に養子入籍していたが、昭和42年に初代桐山が没後、二代桐山を継承。
昭和52年没。現在四代目。
琴浦窯 初代 和田桐山
明治34年、尼崎藩主に外科医として仕えた和田信景の孫である和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に開窯。兵庫県庁勤務時代に淡路島に陶器学校を建設しようとしたほどの陶芸好きで、県庁を辞めて陶芸一筋の道を歩む。明治43年、その二男である正兄(マサエ)が尼崎市東桜木町に移窯。兵庫県武庫群精道村に御庭焼の築窯にも正兄が関わり、これが打出焼の発祥となった。その昔、藤原道真が船から見えるこの美しさに感動して立ち寄り、{ここは殊のほかのよき浦なり}{松は琴柱の並びたるが如し}と賛美したのが琴の浦の地名の由来。天正10年、本能寺の変を聞き、毛利攻めから駆けつけた羽柴秀吉{後の豊臣秀吉}が明智光秀の伏兵を逃れるために身を隠したと言い伝えが残る広徳寺が近くにある。九十朗正隆が、豊臣家の家紋である桐にちなみ陶号を桐山、琴の浦の地名から窯名を琴浦窯と称した。