十代 楽旦入 黒茶碗「燈火」 鵬雲斎御書付 十四代 覚入極 the 10th raku, tannyu black bowl

十代 楽旦入 1795(寛政7)- 1854(嘉永7・安政元)

楽了入の次男。京都の楽家十代。紀伊和歌山藩で御庭焼を行う。藩主・徳川治宝(はるとみ)から「楽」の印判をあたえられた。「聚楽焼由緒歴代書」を作成し、楽家の系譜を整理した。本姓は田中。名は喜愷(よしすえ)。通称は吉左衛門。

 

十四代 楽覚入  1918 - 1980 (大正7 - 昭和55)

十三代長男。
昭和15年(1940年)、東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科卒。卒業後、召集され従軍。
昭和20年(1945年)に生還するも、前年に父が死去、茶道も低迷期を迎えていた。
好景気となる昭和35年(1960年)以降、作品が充実するようになる。
彫刻の理論を生かした立体的造形は他代には見られない特徴とされる。
昭和53年(1978年)、樂家歴代史料を基に「樂美術館」開設。
同年文化庁より無形文化財指定される。その2年後に急逝。