十二代 楽弘入 数印黒茶碗「征空」 即中斎御書付 外箱:無適斎御書付 the 12th raku, kounyu black bowl

十二代 楽弘入 1857(安政4)- 1932(昭和7)

十一代長男。
15歳の明治四年(1871年)に樂家の家督を継ぎ、樂家十二代・樂吉左衛門を襲名。
当時は幕末明治の政治の変革期であったため、茶道をはじめ伝統文化の衰退した時代であった。父、樂家十一代・慶入(1817-1902)と共に苦労の日々を重ね、若いときの作品は少なく、晩年になって多数の作品を制作する。
大正8年(1919年)、剃髪隠居。弘入と称し、翫土軒と号す。
以後、京都本邸と九代・了入(1756-1834)の別荘であった滋賀県石山を往復し、「茶湯」、「俳諧」に老後を送り優雅な晩年を送る。
また表千家、不審庵内でおこなわれている俳句の会『弥生会』にも参加。


無適斎

久田家は表千家の茶家。邸内の茶席、「半床庵」の名で呼ばれる。千利休の時代に活躍した久田宗栄(1557-1624)を初代とし、現在、十三代続く茶家。

十代 宗悦
玄乗斎(げんじょうさい)。表千家十代吸江斎の三男で皓々斎の孫。蛤御門の変で焼失した「半床庵」を復興した。次男は武者小路千家九代の聴松宗守(愈好斎)。

十一代 宗也
無適斎(むてきさい)。宗悦の長子。『無適斎日記』を残す。

十二代 宗也
尋牛斎(じんぎゅうさい)。無適斎の長子。久田家および表千家の継承と発展に力を尽くす。