須磨対水 幅「名菓一枝」 suma, taisui "meikaisshi"

須磨対水 1868(明治元)- 1955(昭和30)

大阪船場生。本名・箙 鹿太郎。明治元年(1868)~昭和30年(1955)。大正から昭和にわたり大阪画壇を代表した画家。西山芳園の画風を受け継いだ久保田桃水に師事、日本画を学ぶ。花鳥風月季節の画題を得意とし、料理屋に飾られる画として重宝された。料亭「吉兆」の名付け親としても知られる。大正3年~15年まで池田に居を構える。理由は、四条派の祖呉春(松村月渓)が、天明元年(1781)から寛政元年(1789)までの8年間をこの地で過ごしたことへの憧れからだった。