有栖川宮 幟仁親王 幅「竹」 arisugawanomiya, takahito "bamboo"

有栖川宮 幟仁親王 1812(文化9)- 1886(明治19)

幕末・明治期の日本の皇族、書家(有栖川流)。身位は親王。敬称は殿下。神祇事務総督、神祇事務局督、神道教導職総裁、皇典講究所(現・國學院大學)総裁。有栖川宮韶仁親王(霊元天皇曾孫)の第一皇子。世襲親王家の有栖川宮第8代当主。

文政6年(1823年)、親王を宣下され上総太守。元治元年には国事御用掛となり、慶応3年(1867年)に親王の位階第一位の一品を授けられ、明治新政府の議定・初代神祇事務総督・神祇事務局督に就任。明治14年(1881年)、数多の神道家の請願により神道教導職総裁に就任。時の祭神論争の沈静化に尽くし、翌年には皇典講究所総裁として皇学の隆盛に尽力した。有栖川宮家は歌道・書道が家学で、五代・職仁親王の代に書道有栖川流の基礎を固め、幟仁親王により大成し確立した。現大教院扁額も親王揮毫のものである。